4月1日はマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)の命日。名盤(ホワッツ・ゴーイン・オン(What’s Going On)』を聴こう!
黒人に対する新しい意識の下、”主張する黒人”が支持された。「ホワッツ・ゴーイン・オン(What’s Going on)」はベトナム戦争や公害といったアメリカのネガティヴな面を浮き彫りにしながらも「愛こそはすべて」と歌い上げる、その先陣を切ったマーヴィン・ゲイ(Marvin Gaye)。
今回はマーヴィン・ゲイの名盤中の名盤である「ホワッツ・ゴーイン・オン」。
音楽的ジャンルを超越した不朽の名作のうちの1枚ですけど、実はモータウン史上初のコンセプト・アルバムであり、今となっては当たり前になっている事が初めて試みられたアルバムです。
その内容が…
①モータウン史上初めてアーティスト、ミュージシャンの名前がクレジットされた事。
②初めて歌詞が記載された事。
③ヴォーカル・パートを複数重ね録りされている事。
④アルバム前半がノン・ストップで収録されている事。
⑤マーヴィンの定番であるラヴ・ソングが一切収録されていない事。
これらの事からモータウン・レコードの当時の社長のベリー・ゴーディ・ジュニアは、これでは売れない!と判断し、リリースを嫌がったそうですが、マーヴィンは強引にリリースに踏み切ります。
その後のミュージック・シーンに与えた影響、残した功績を考えればどちらの判断が正しかったのかわかりますね。
それでは少し、マーヴィン・ゲイについて書いてみます。
幼少の頃より教会の聖歌隊でシンガーとしてのキャリアをスタートさせる傍ら、ピアノやドラムのプレイも学ぶようになる。
ただ父親から虐待を受けたことが音楽にのめり込むキッカケとなる一方、後々まで残るトラウマとして彼の人生について回る事になる。
学業を終えた彼は空軍に入隊。
除隊後よりドゥーワップ・コーラス・グループ『マーキーズ』を皮切りに、いくつかのグループを渡り歩き、デトロイトでの公演の際にモータウン・レコード(Motown Records)の社長ベリー・ゴーディ・ジュニア(Berry Gordy Jr.)に見出され、ソロとしてのキャリアをスタートする。
ソロ・シンガーとしての活動とともに初期はドラマーとしても活動しており、その際に優秀なスタジオ・ミュージシャン達と出会う事で、その後の楽曲制作において大きな影響を受ける。
特にベーシストのジェームス・ジェマーソン(James Jamerson)との出会いは大きかったようでマーヴィンの作品への貢献度は高い。
そして少しずつ売上を伸ばしていく中、社長の実姉と結婚した事も手伝ってか、モータウン所属のシンガーの中でも高い人気を集めます。
1960年代はタミー・テレル(Tammi Terrell)との息のあったデュエットで人気を博しますが、1970年にタミーが脳腫瘍により24歳で他界。
ショックを受けた彼はその後しばらく音楽活動を休止するが、ベトナム戦争から戻った弟と再会した事をキッカケに音楽活動を再開する。
そして1971年発表されたのが、このアルバム『ホワッツ・ゴーイン・オン』です。
ここから第2期黄金期を迎え、その後も『アイ・ウォント・ユー(I Want You)』など自身の感情をストレートに表現した私的な内容の作品を発表するも離婚問題やドラッグの問題などもあり徐々に低迷していきます。
1980年代に入り、ドン底状態だったマーヴィンは周囲の人々に助けられ少しずつ音楽活動を再開出来るようになっていきます。
モータウン・レコードからの移籍後初となる作品『ミッドナイト・ラヴ(Midnight Love)』を1982年にリリース。
シンセサイザーを取り入れた新鮮なサウンドは話題になり、翌年にはグラミー賞獲得とキャリア最高の成功を手にし、第3期黄金期の到来を予感させます。
しかし、その翌年の1984年に両親の夫婦喧嘩の仲裁に入った際、父親と口論となり、マーヴィンがプレゼントした拳銃によって父親に射殺されます。(享年44歳)
ちなみにそれはマーヴィンの誕生日の前日に起こりました。
そんなマーヴィン・ゲイの命日である4月1日は是非、『ホワッツ・ゴーイン・オン』含め、マーヴィン・ゲイを聴きましょう。
《総評》
オススメ度 ★★★★★
今では名盤中の名盤、様々なジャンルのアーティストに影響を与え続けている作品です。
タイトル曲「ホワッツ・ゴーイン・オン」は色んなアーティストにカヴァーされている名曲です。
ただアルバムを通して最初から最後まで聴くと、この名曲も聴こえ方が違うと思います。
いつ聴いても色褪せる事のないこのアルバム、持っていて損なしです!