ランディ・ローズ (1956-1982)
(Randy Rhoads)
クワイエット・ライオット(QUIET RIOT)の初代ギタリストであり、オジー・オズボーン(Ozzy Osbourne)のバンドの初代ギタリスト。
オジーのソロ・デビューの際、オジー自ら当時無名のギタリストであったランディに惚れ込み、迎え入れられる。その後、バンドのメンバーとして、そして友人として愛されたギタリストです。
そのオジーとのセカンド・アルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of a Madman)』のツアーの最中、遊覧飛行中の軽飛行機の墜落事故により死去。享年25歳。
クワイエット・ライオット時代はレコード契約を目指し、各国のレコード会社にデモ・テープを送ったものの本国アメリカからは声がかからずデビュー出来なかったが、日本のCBSソニーからのみ声がかかり、デビューに至る。
その後2枚のアルバムを日本でのみ発表。(この2枚は現在、廃盤で再発もされていないですが、『ランディ・ローズ・イヤーズ(The Randy Rhoads Years)』というランディ在籍時の音源を集めたアルバムも出ています。)
オジー・オズボーン・バンド時代の『ブリザード・オブ・オズ〜血塗られた英雄伝説(Blizzard of Ozz)』、『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン(Diary of a Madman)』で一躍世界中から注目を集めた矢先、前述の事故により死去。
後に発表されたライヴ・アルバム『トリビュート〜ランディ・ローズに捧ぐ(TRIBUTE)』と合わせて本国アメリカで発表されたアルバムは計3枚しかないにも関わらず、今もなお色褪せる事なく語り継がれ、ギター・シーンに影響を与え続けるギタリストです。
1980年代に起こるヘヴィ・メタル・ムーブメントはランディとエドワード・ヴァン・ヘイレン(Edward Van Halen)の登場をきっかけとしていると言っても過言ではないと思います。
個人的に『陽のエドワード・ヴァン・ヘイレン、陰のランディ・ローズ』と思っています。
トレード・マークのギターは何と言ってもは白いギブソン レス・ポール・カスタム(Gibson Les Paul Custom)ですね。
おそらく1970年代前半頃のモデルだと思われます。白が変色してアイボリーになっています。憧れますね。
カール・サンドヴァル(Karl Sandoval)製作のポルカ・ドットのカスタム・フライングV(Polka Dot Custom Flying V)の印象も強いですね。
クワイエット・ライオット時代にランディの衣装のトレードマークであった水玉がボディに、蝶ネクタイが指板のポジション・マークに施されています。
ヘッドのデザインがかなりイカツいのも特徴ですね。
そしてランディVと呼ばれ今なお親しまれている独特な非対称Vはジャクソン(Jackson)製です。
ジャクソン特有のコンコルド・ヘッドは共通ですが、白地に黒のストライプの方は1980年にグローバー・ジャクソン(Glover Jackson)製作のプロト・タイプ。シンクロナイズド・トレモロ・ユニットにピックアップ・セレクターが6弦側の側面にあるのが特徴です。
黒い方もグローバー・ジャクソン製作の1981年製で、ランディの死の数ヶ月前に完成の2号機。白地のものに比べてボディの非対称が強調され、弦が裏通しになり、コントロール系の位置も変更されています。
死の直前に完成したため、ほとんど使われる事が無かったというのが残念です。
ここでランディの生い立ちを少々。
ランディ・ローズの母、ドロレス・ローズ(Delores Rhoads、2015年に死去)はフルート奏者でロサンゼルスの中学校や高校で音楽を教え、その後カリフォルニア州に音楽学校を所有し、運営していました。
そこでランディは6、7歳頃からフォーク・ギターを学び、その後ランディ自身の意思でエレクトリック・ギターを学ぶようになったそうです。
母親の学校に良いエレクトリック・ギターの先生がいて、その人はランディに初歩からきっちりと教えたそうで、時にはバイオリンの教則本を使って、かなりスケール練習をさせたそうです。
そしてそれから1年後くらいには教えられる事全てをランディはマスターしたそうです。
16歳の頃には母親の学校でギターを教え始め、クワイエット・ライオット時代もそれは続き、レッスンが終わるとリハーサルやギグに出かけ、毎週末はギグで演奏するというギター中心の生活を送っていたようです。
ランディは誰か他のギタリストのコピーをする事がなく、生徒たちにも…
「自分自身であれ。自分だけのスタイルを作り、誰のコピーもしてはいけない。」
そう教えていたそうです。
ちなみにその生徒の中には後にオジーのバンドに加入するジョー・ホームズ(Joe Holmes)もいました。
そしてクラシック・ギターも熱心に学んでいて、クラシック・ギターの修士号を取る事を目標にしていたようで、オフの際はいつもクラシック音楽を聴いていたそうです。
ランディのクラシック・ギターはオジー・オズボーンのデビュー作『ブリザード・オブ・オズ』の中の「ディー(DEE)」という叙情的で美しいインスト・ナンバーで聴く事が出来ますが、『トリビュート』では「ディー」のアウト・テイクが収録されており、そこではランディの肉声も収められています。
《総評》
オススメ度 ★★★★★
ハード・ロック、ヘヴィ・メタルを志ざすギタリストは必聴です!(今さらですが…笑)
もし、ジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)が生きていたならば、現在のギター・スタイルやサウンド、果ては音楽そのものが全く変わっていただろうと言われていますが、ランディ・ローズにも同じ事が言えると思います。
死後30年以上が経っているので、ランディのギター・プレイを生で観た事があるという人はかなり少ないと思いますが、叶わぬ夢とはいえ、もしランディ・ローズのライヴがあるなら何をおいても行くぞ!って人は僕も含めて星の数ほどいるのではないでしょうか?
それほど偉大なギタリストです。
最後にランディ・ローズの珍しいショットを。